高次本能研究日記@こころ科学

姓名数数秘7の内観と心理分析、人が自分らしく生きるための本能開花について考える記録日記

エゴスピリチュアル金持ちのお金の使い方への怒りを手放す

 

 

細木数子氏とか金持ちとか嫌なやつってスピリチュアルで人を脅していて嫌な感じだったんだと自覚した。

 

スピリチュアルは清貧じゃない。

 

それは坊主共が清貧や坊主頭にこだわっているから、それがスピリチュアル=清貧っていう固定観念になっただけだろう。

 

でも肉を食い人を愛した破戒僧もいるんだから、清貧=スピリチュアルこそ思い込みだな。

 

ただ、高級車を買ったり、高級万年筆を買ったり、バカ高いセミナーをしたり、人の喜びよりも自分の喜びが多くなるように設定しているのを見て、なにより嫌だったのは、スピリチュアルで人の喜びよりも自分の正義と悪にもとづいた偽善を語ること。

 

エゴスピリチュアルを語り、人を喜びから遠ざけて、自論を語るだけで人が幸せになるヒントは語らない。

 

エゴはエゴを語る。

 

細木数子氏も先祖供養しないとバチが当たるぞ、と脅迫していたんだとようやくわかった。

 

私はそれに激しく反感を抱いていたんだと先祖供養を介して気づいた。

 

細木数子氏は、TVや書籍で、先祖を大切にする思想を語る一方で、祟る悪魔や鬼みたいに扱っていた。

 

お墓がないと先祖から祟られる、病気になるぞ、地獄に落ちるぞと、脅してでも先祖供養させるのは功罪相半ばするってやつだ。

 

先祖供養を広めたのが功績なら、脅し文句を使って洗脳してでも先祖供養させよう、先祖は怖いものなんだぞって恐怖を植え付けたのは悪手だ。

 

先祖はそんな怖いもんじゃなかった。

 

先祖とは「子孫が会いに来てくれたらうれしい」といった穏やかな存在なのに、私はすっかり「供養に来ないとひどい目に遭わせるぞ!」と脅す存在だと細木数子氏に全国放送で思い込まされていたのだ。

 

細木数子氏の先祖供養の思想をそのまま取り込んでしまった。

 

その洗脳状態、思い込み状態がようやく解けた。

 

自分の吸収しやすさが裏目に出た例だな。

 

吸収したということはほんとうに脅していたということだし、本人も先祖供養をしないと罰せられるとか祟られるとか本気で思い込んでいた可能性もある。

 

個人的に先祖供養をはじめたきっかけになったのは感謝するが、脅迫してやらせようとするなんて最悪だ。

 

先祖を悪魔のように扱い脅すことで、おまえの言いなりにはならない!と反発する者も出てくるので、先祖供養を広めたいという純粋な思想は打ち砕かれる。

 

それに、先祖というものが低級霊や悪霊のように扱われるので悪い印象操作に当たる。

 

私は先祖とは異なるところで「この人に脅されてまで先祖供養したくない!」という気持ちが湧き上がり、先祖とは関係ないところで、先祖供養という行為に恐怖と怒りと違和感が生じていた。

 

私の場合は脅してやらせるという行為に母親がかぶっている気がするので、この内観は分岐しているが。

 

金持ちってよく人を脅迫しているなと感じたのは、脅迫する人間の負のエネルギーが強くて際立ったためだろう。

 

金持ちのすべてがそうだとは思っていないが、一部の金持ちの脅迫や恐怖を放つエネルギーが強すぎて、金持ちみんな悪、という観念に陥っていた。

 

細木数子といい、エゴがある金持ちのエゴスピや喜びと相反する脅迫や恐怖や、正義と悪に基づく固定観念ごりごりの人間のエネルギーに同調して、なぜあとから嫌悪感がばちばちと電光のようにほとばしるのか。

 

母親だろうな。

 

私の因縁はだいたい母親につながるし、ビジョンでもちらついた。

 

母親と同じ恐怖や不安を煽る、多かれ少なかれの脅迫的エネルギー、エゴエネルギーを放っているからだ。

 

そして、彼らへの嫌悪感は、母親と同じ周波数のエネルギーを感じたために、母親を被せて憎しみを向けていたのだろう。

 

 

 

先祖供養とはべつに、金持ちへの怒りは「自分がお金を持っていないこと」だった。

 

簡潔に言えば、金のない自分が情けない、金のない自分が嫌いだ、という感情があった。

 

そのお金があれば、保護動物たちへの資金援助に使えたり、レイプに苦しむ人たちのためのNPO団体への支援に使えるのに、私にはそのお金がない、金がない自分が悪いんだと責めていた。

 

自分たちのエゴや物欲のためばかりにお金を使い、救える命を救おうとせず、浴びるように酒を飲んだり、高級車やブランド品を買い漁る様に苛立ちを覚えた。

 

もちろん彼らのものだ、彼らがどう使おうが人が口を出していい理由にはならない。

 

だから、自分がいますぐ支援するには金がいるのに、その金がない自分の無力さに歯がみしていたんだと気づいた。

 

私の代わりにお金をたくさん持つ人にそういうところへの支援をしてくれたらいいのに、たくさん持っているんだから独り占めしないで助けてあげてよ、と思っていた。

 

金持ちを自分の代わりにしたがっていた、自分の代わりに自分のしたいことをしてほしいと思っていた。

 

私のやりたいことを代わりにやってほしい、自分ができないことへのいらだち、そういうものがイライラの正体だった。

 

お金のない自分に代わって、お酒やグリーン車に乗るためにお金を使うんじゃなくて、もっと人のために、命を助けるためにお金を使ってくれたらいいのに、独り占めして嫌なやつらだと嫌悪していた。

 

そんなやつらに不満を抱えながら、私には力がない、いま私にお金という力があれば…という自責の怒りをお金持ちの一部に向けていたんだと気づいた。