高次本能研究日記@こころ科学

姓名数数秘7の内観と心理分析、人が自分らしく生きるための本能開花について考える記録日記

古い魂だけどブスじゃない、新米のようにつやつや顔

お化粧をしないから肌は若い。

 

三十二歳で二十代やときどき十代に間違えてくれる人もいる。

 

ふふふ。化粧しない甲斐があったぜ。

 

ま、顔だけだけど。

 

肉体や体力が老化をたどっているので、老年期でも元気に動けるように、ヨガや筋トレを意識している。

 

けれど、ときどきスピリチュアルを語る人が「魂が古いほどブサイクだ」と断言しているが、それはホントでウソ。

 

顔の醜さから学びたいことがあったとか、人の顔に火傷を負わせたりひどい目に遭わせたことを思い出すためだとか、自分の顔を大切にしなかっただとか・・・。

 

いろいろな理由があって、「この顔にした」ということはありえる。

 

ただ、一概に、「魂が古いからブサイクなんだ」はちがうよ。

 

ブサイクだから自分は魂の年齢が高いんだ、だからいいんだ?

 

いいんだ、じゃないんだよ。

 

魂年齢が高いなら高いなりの経験をしてくるし、ブサイクがどうのって次元では語らないんだよ(個人的な感情がなければ)。

 

なんでブサイクな顔として生まれてきたのか、理由を知らないで、断定して納得しようするのははなはだ疑問かな。

 

その顔で生まれてきた意味は?

 

そして顔を変えようとしない理由は?

 

顔ってさ、変わるんだよ。

 

気だからね。

 

造りはみにくくてもいっしょにいてほっこりする人もいれば、造りは美しいけれど鼻につくわ!ぺっ!って人もいる。

 

顔だって気だから。

 

セラピーを受けたり瞑想をすると、憑き物が落ちたように別人の顔になっていることがある。もちろん、明るく朗らかに優しくなった、という意味で。

 

自分は顔が醜い!⇒それは魂レベルが高いからだ!⇒ブサイクのほうが魂年齢が高くて古い魂なんだよ!は、どう考えてもちがうでしょ(笑)

 

小学生の作文じゃないんだからさ。

 

顔って変わる、整形しなくても。

 

私の卒業アルバムでは陰湿でどよーんとしてぶすうっとしたブスだった。

 

くら~くて近づきたくない感じの、典型的ないじめられっ子デブ女子の顔…。

 

だけど、今は顔はかわいらしいって言ってもらえるまでになったし、テレビ番組ですっごいブサイクだった人が痩せてメイクをがんばって女顔負け美人のコスプレイヤーになっていたのを見て、気合と努力で顔って変わるんだって実感した。

 

なにもしない、心にわだかまるものも癒やさないで、顔は醜いのは名誉だ!っていうのは、問題から目をそらしているし、現実逃避にほかならない。

 

自己否定をひっくり返しただけのうすっぺらい自己肯定。

 

それで自分の顔を受け入れて愛しているならそれはそれでその人はいいんだろうけれど、その自論をスピリチュアルの正解として語るのはまた違う。

 

人によって正解は違うから。 

 

なんで醜いのか?なんでブサイクって言われるのか?

 

顔にまつわるカルマかもしれないし、なにかしら学びがあるから現象も起きる。 

 

暗かったり、薄汚かったり・・・気配が明るいか暗いだけでじつは顔って一変する。

 

化粧でごまかすことはできないもの。

 

にじみでてくるものを抑えることは幽霊にだってできない。

 

次元の低い適応する肉体もちの人間にはもーっと無理。

 

化粧じゃごまかしきれない気というものがあるんだから、化粧するより心構えを変えたほうが早い、と私は思う。

 

素地がよくなればすっぴん美人。

 

ブサイクだから、醜いから、魂の経験値や年齢とイコールにはならない。

 

スピリチュアルを物質のものさしだけで測るのはスケールが小さい。

 

それに、魂が目覚めている、魂が古いはずなのに、話すことが物質属性に即したものばかりだったり、なんで次元の低い肉体や顔や物質にこだわるのかなあ。

 

物質属性に片寄った言い回しって違和感かんじる。

 

魂年齢が高い古い魂であればあるほど、そこへと目覚めていくほど、物質属性にあまり惹かれなくなっていく。

 

ただ、それでも現実で生きているので、より本質的な愛を好ましいと思っていきつつ、愛をどう形にしようかな?どうやって愛を伝えようかな?と発展してくのが古い魂や覚醒した魂だと感じる。

 

だから、物質属性から愛に変換しようとするのは、魂が新しいか、若いか、単に経験不足。

 

たとえ肉体という低次元の物体であっても、好きだから鍛える!好きだからより高みを目指す!なら愛。

 

でも、執着して「ブサイクは古い魂だからブサイクでいいんだ」って言い訳するのはちがうよね。

 

もしかしたらトンデモな予想外の理由がその顔にはあるかもしれないのに。

 

断言していても、あくまでその人にとっての正解ってだけだから。

 

たまたま魂年齢が高くて醜さを学びにしたっていうそパターンもあるよねってだけ。

 

切り口なんて様々で、現実のように決まりきった金太郎飴はスピリチュアルにはないんだってさ。

 

入口出口は様々。

 

私はかわいいかわいいって褒めてもらっても気配が淀んでいたときは自分の顔を見るのも嫌だった。

 

心が荒みきっていて、自分大嫌いだったとき、顔や体を物体として見ていた。

 

だんご鼻が~とか脱毛が~とか口の荒れが~輪郭が~腹の贅肉が~体重が体脂肪が~とか、それはもう姑のごとく自分に針刺す言葉を向けていた。

 

いまは褒められようが何とも言われなかろうが、いい顔しているなあと自分が思える。

 

体があって動けるってだけでありがたい、自分の足でどこへでも行けるし、手を動かすことができて、考えることができる。

 

それはすごいこと。当たり前じゃない。

 

そういう自分の気配に癒やされるので顔を見ていても気持ちがいい。

 

体を動かすと生きているんだな~疲れたな~と感じる。

 

顔は色がいいっていうのか、気配がつやつやお米のようで見ていて気持ちがいい。

 

たまご肌とか言うけれど、つやっぷりで言えばお米もつやつやでもちもちしている。

 

私の気配、いままでどんだけくすんでいたんだ。

 

でも気の毛穴に詰まっていたものごっそり洗い流してきたぞーーーー!!

 

やっぱり肉体の毛穴ケアだけじゃダメ~~~心の毛穴ケアも大切~~~~。

 

内観とセラピーで。

 

しんどかった(笑)