自分と心を科学する@こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

「私が私を殺しに来る」の真相

 

苦しかった。

あのころ、自分を楽にさせてあげたくて「死にたい」と思っていた。

そのあと、自分を苦しめた自分をじわじわと真綿で首を絞めるように「殺したい」と思っていた。

 

大天使ミカエルが憂う顔で「私が死ぬ」

白蛇「この世界で生きるかどうか決めたか?」

自分「自分が自分を殺しに来る」

このごろ聴こえていた声と言葉。

 

自分の心理パターンから見えてきた自殺には、おおまかに二種類あった。

苦しむ自分を楽にさせてあげたいの「死にたい」

じわじわと追い詰めて苦しめる「殺したい」

 

死への謎の恐怖や大天使や白蛇の声はこれかなあ、とふと思った。

あれだ、大天使ウリエルが課題を出してきたときと同じだ。

 

この執着を放置していたら、もしかしたら自分を殺していたかもなあ。

自殺じゃないから、じわじわと苦しめながら、痛めつけながら、殺す。

生きながら死ぬ、つらい記憶に首を締められながら、心を刺されながらって感じだったのかな。

 

だからやけにトート・タロットでソード3が出たのかな。

心の臓をえぐり刺す、みたいな感じで。

その痛みの原因を探って受け入れろってことか。

 

さらにこの感覚を追っていくと、やっぱり母親の人格や感情の取り込みが出てきた。

 

結論から言えば、自分が死ぬか親を殺してやれば親が幸せになるかもしれないと思っていたらしいが、それで親が幸せになることは絶対にない。

 

親を幸せにしよう、楽にしてやろうとするのは一切合切、あきらめることだ。

 

私の母親は子供である私を殺そうとしていた。

彼女は私に手を出したことはない。

 

アザが残るような暴力はないが、アザも証拠も残らないモラルハラスメントは幼い頃~17歳までずっとあった。

そのあともモラハラは続いた。

 

彼女は自分の手を汚さずに、子供を精神的に追い詰めて、精神的に追い詰められて子供が勝手に死ぬ、あるいは、家出をすることを期待していた。

 

モラハラは物的証拠が残らない。

母親が子供を殺したのではなく、子供が勝手に死ねば、前科もつかないし逮捕されることもない。

完全犯罪を目論んでいた、とも言える。

 

そのころ、証拠を残そうにも、ICレコーダーなんて子供が持っているはずもない。

買うお金はなかったし、ICレコーダーは最近出てきたもので、私が子供の頃はメジャーではなかった。

 

「私が私を殺しに来る」のではなく「母が私を殺しに来る」だったのだ。

自分が死にたいと思っている人間は、自分が死にたいという気持ちを自覚せずに、子供に死んでほしいから、子供が死ぬように仕向ける。

 

父親に関しては肉体殺殺害未遂の現場を私が目撃しているので証言になるが、母親の精神殺害未遂は証拠がない。

私がやられたと言っても、それは被害者の一方的な証言でしかない。

 

たしか、被害者の証言だけで逮捕できるわけではなかったはず。

誤認逮捕もありえるから、証拠が必要なのだし、「やった」という確証がないといけないんじゃなかったっけ、刑罰って。

 

母親は自分を殺したい、自分が死にたいという気持ちを私に反映させて、私が死ねばいいと思っていた。

私のせいで、子供のせいで、自分は不幸だと思いこんでいたため、子供がいなくなれば自分はきっと楽になれる、自分は幸せになれると思っていたよう。

少なくとも、私の主観では。

 

でもね、自殺願望者のまわりでどれだけの人が死んでも、その人が自分自身を殺したいと思っているんだから、子供が親の幸せのため、親の思惑通りに死んでも家出しても、自分が不幸なのは子供のせいだと思うのは絶対にやめないと私は感じる。

 

不幸にしがみついたまま、死んだ子供を恨み続けるだけ。

しくしく泣いていても、自分がかわいそうで泣くだけ。

 

子供を殺す親って、子供がいるせいで自分が不幸せだと思っていて、自殺願望のある危険な存在だから。

 

自分で自分を地獄に追い詰めているとも気付かずに、だれかが悪いと外に原因を求め続けて、自分が取り返しのつかないことをしでかしていることにも気付かない。

 

私は父親からも母親らかも精神的殺害行為を受けた。

心は昔たしかに一度死んだのだ。

 

心は一度死んでも地獄から這って這いつくばって、辛酸なめて復活した。

乗り越えて、親を訴えることもできるし、親に復讐する道を選ぶこともできるし、家族のために自分を犠牲にするのを一切やめて、自分ひとりを幸せにすることを選択することもできる。

 

親という人間は、自分たちがしたことから逃れるすべはない。

追い詰めようと思えば追い詰められるし、殺そうと思えば殺せる。

しかし、それは親の思惑通りになることも忘れちゃいけない。

 

子供の心を殺す親って、自殺願望があるから、自殺願望あつやつ殺したら、そいつの願いをまんまと叶えることになるし、裁判を起こしても自分は被害者だー!!ってわめいてこちらを責めるだけで、まるで反省なんてしないから、また親に攻撃されたと感じるのがオチ。

 

悪いと認めさせたい、自分が受けてきた痛みをわからせてやりなどと思って復讐しても、自分のしてきたことを顧みる人間性があったら、とっくにしている。

 

そういう親って自分だけは悪くないと思っているから、まずどんな裁きを与えても、自分が心の底から悪いと認めることはないのだ。

 

子供の心を殺す親は、子供が苦しんで死ぬこと、自分が手をくださずに死ぬことを一番に望んでいるから、親に報復をすると復讐合戦になって、始末がつかなくなり、結局殺しちゃいましたなんてことになりかねない。

 

その因果を背負うのが嫌なら、復讐はあきらめる。

死んでもその因果からは逃れられないから、親のために不幸になっても、親は幸せになることはないことに気づいて、手放すしかない。

親に復讐をしても、相手は心から反省することはないのだから、復讐をしようとするほどこっちの心が死んでいく。

 

殺されても仕方のないことをやらかした人間っているけれど、自分が殺してやることないじゃん。

そのうち嫌でも勝手に死ぬ。そのときまで憎ければ、棺桶でも蹴飛ばしてやればいい、と私は思っている。

少なくとも父親の棺桶は蹴っ飛ばすつもりでいた。

いまはどうでもいいかなと思いつつある。

興味なくなったかな~あの男の死に。

 

ここまで内観をしてくると、親への復讐よりも、自分の親がいかに子供よりも未熟だったのかをまざまざと学んできたためか、復讐心がどんどん消えていく。

 

母親だっていつ殺してやろうかとか、いつ死ぬんだろうかと気にしていたけれど、なんかもうどうでもいいというか。

存在がそこにある、だからなに?っていうか。

 

「そうなったのは自業自得なんだからテメエのケツはテメエで拭け」と冷ややかに思ええてきた。

 

いままでだったら感情的になっていて、自分たちのしてきたことをわからせてやる!!って頭の中で殺しまくっていたけれど、ずいぶんと親という人間の醜さ、愚かさ、無知蒙昧っぷり、等身大の人間性を冷静に観察している自分がいる。

 

死ぬまでに乗り越えられないかもしれないと思っていたことも、続けることで乗り越えられてきた。

そこにはやっぱり生死が絡んでいたり、自虐、自殺、復讐心と、自分自身を基点にした感情ががっつり絡んでいた。

 

感情を感じきるのをオススメしないなんていうブログがあったけれど、自分の心に毒のトゲが刺さっているのをそのままにしておくことをすすめるなんて、どうかしていると思った。

 

その人が毒とトゲに苦しんでいるのに、その痛みを長引かせ、抑圧することで、のちにどんな影響をもたらすかも考慮しない、無責任な発言じゃないだろうか?

 

私はいま痛いほうがいいと思うから、さっさと毒もトゲも抜く。

それが自分の心にまわりきって心が死ぬより、もう一度、自分の心で生きるために抜ききる。毒となっている感情を感じきる。

 

感じきったあとに残るのは自己愛だけだ。

他人なんてどうでもよかったのだと思うし、他人を取り込んでいたら想念からも解放される。

 

アップル創設者スティーブ・ジョブス胃がんになったとき、早期発見だった。

そのときに手術していれば、彼は今でも手腕を発揮していたかもしれない。

でも、彼は手術をしないことを選んで死んだ。

 

ときに人は毒になる恐怖をくらい克服を要する場面もある。

とくにガンは自分や他人などへの許せない気持ちや憎悪が毒となり自分をじわじわと蝕んでいるのだ。

 

毒を感じきらないのなら、心にはじわじわと毒が浸透していく。

どこかで自然と毒が抜けることもあるかもしれないが、私はそれを体験したことはない。

 

自然と抜けることなんてなかった。

自分で自分のなかの毒を感じきらない限り、毒がなくなることはなった。

放置していたら、毒で心が腐っていたと思う。

その毒が未練となり、執着となり、幽霊になる。

 

感情を感じきるのはオススメしないとか、次元なんて上昇しないほうがいいとか、他人に無責任なことをいうもんじゃない。

他人の人生に責任なんて持てないんだから、ひとりで勝手にやっていたらいいのだ。

 

するな、しろ、オススメするしないもどうでもいい。無責任に押し付けるな。

個人的には感情を感じ切ったり、次元上昇を勧めてきた気もするけれど、勝手にしたらいいよね。

 

自分のことなんだから自分で決めればいいじゃん。

オススメかどうかは自分でやってから決めたらいいじゃん。

その人にオススメかどうかなんて、自己基準で判断すんなっつうの。

 

内観もできない人もいるかもな~って今は思う。

じゃ、人に手伝って貰う方法でもいいよね~とか。

 

ただ、自分の人生にだけ責任が持てるってことは忘れちゃいけないし、自分が辛いのはだれのせいでもない、自分に原因があるし、他人に原因があるんだとか頑固やるなら、それが心に石を作り、心が病んでいき、現実が病んでいく。

 

それが嫌だから、私は病気の根源を取り除きたくてやっている。

 

楽しい、充実して満ち足りた現実と自分のほうがいい。

復讐よりも破壊と創造のほうがいい。

新しいものを作って、育むほうが私は楽しくて好きかな。