@自分こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

結婚していい人って?

「美人」表現が差別と解釈される時代の変化

 

言葉尻をつかむようだけれど、「美人」って言葉も、差別として受け取られ始めている。

 

「デブ」「ブス」のように「美人」「イケメン」が、人の顔の造形について良し悪しを決めていると解釈もできるからだ。

 

しかし表現についての好き嫌いはあれど、それを差別だと”差別”する表現は、また差別という暴力であることを忘れてはならない。

 

そういう言い方は嫌いだ、までが愛。

であるなら、「そういう言い方は差別だ」「その言い方はやめて」と指図するのは表現差別という暴力に当たる。

 

正義は暴力である。それを正当化することで暴力も差別偏見もなくならないことは、生きている人間、これから生まれてくる人間にとって肝に銘じておきたいことだ。

 

なぜこんなことを冒頭に書いたかというと。

 

未来へLight up!ブログのライトさんが美人という言葉を何気なく使っていた。

「美人なのにもったいない!(ネガティブ変換ばかりする女性にたいして)」

それにたいする私の感想は、「美人じゃなかったらもったいなくないのか」という皮肉であった。

 

そういう表現は嫌いだな、と思った。 

だがどういう表現をするかどうかの行動発言はその人の自由。

しかし好きだ嫌いだと強要しない自分の気持ちを表現することは私の自由である。

 

愛と愛情を勘違いしている人間が、暴力(差別)と愛(ありのまま認めること)をごっちゃにして、やめさせることを愛だと思い込んでいるが、それは暴力であることも、同じように広めていくことが求められている。

 

人間がより向上変化していくための課題である。

 

 

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鏡の法則

 

自分と結婚するって想像したらどうなると思う?

 

結婚をあきらめられない。

しておいたいほうがいい?

 

自分と結婚するって想像したら?

自分は自分、他人は他人が行き過ぎて冷たい人になるかもしれない。

 

依存を恐れすぎて、自立自立を相手に求め過ぎるかもしれない。

自分のしたいことばかりして飽きられるかもしれない。

 

運良く結婚できてもうまくいかないかもしれない?

結婚に向いていないかもしれない?

 

いっしょにいるだけで夫婦って感じないかもしれない?

じゃあ夫婦ってなに?結婚ってなに?人って何?自分って何?

 

生活ってなんのためにあるの?

お金って何?男女って何?タイムリミットがあるからただ焦っているだけ?

 

 

 

自分が思う結婚していい人って?

 

(私のイメージ)

しっかりしている。大人である(自立している)。

落ち着いている。一人暮らしをしている。

経済的にも自活していて、仕事もしていて。

 

そんな自分だったら結婚してくれる人もいるし、うまくいくだろう・・・そう思っていたのは2週間(いくかいかないか)前まで

 

 

これらは固定観念だった。

 

 

 

自分に条件を求めると他人にも条件を求める心理メカニズム

 

 

『この条件をクリアしたら結婚してもいいよ!

 

 

自分に結婚するための条件を設定して、条件を求めていたのだ。

 

「条件をクリアしておけば離婚はしなさそうだ」というただの思いこみ。

 

さらに詳しく見ていくと、「結婚は甘くない、結婚したいだけじゃうまくいかない、だから自分がまずしっかりしよう、しっかりしなくちゃいけないんだ」という恐れの気持ちが出てきた。

 

自分にしっかりしろ!と求めるのなら、当然、相手にも「しっかりして!自立して!働いて!ちゃんと家庭を守って!結婚生活は甘くないのよ!」と求める。

 

人は自分にしていることを他人にやらずにはいられない。

 

とくにそれが不自然なものであればあるほど、禁止制限にたいして心から反発がもたげてくる。

心はとても自然に動くようにできている。

 

 

 

自立を忘れた頃に起きる現象

 

不自然な愛情を自分に与えれば与えるほど、不自然な要求を自分に求めれば求めるほど、相手とはケンカが絶えない、口論口調になる、命令や指図ばかりで心がカラカラ、サハラ砂漠のように乾いていくだろう。

 

もしくは我慢しすぎて、その人にさわられるとゲロ吐くくらいに生理的に嫌悪するまでに至るか、どっちにしろ最低な結果にならないと、自立できないまでに陥るのがオチ。

 

でも、そうなった場合は自立心を失ってしまって恐れに支配されているので、自分の心を相手に寄りかからせて、ひとりで自分の心を立たせられなくなっている。

 

それで、イヤイヤ離婚しないで暮らすという、苦肉の策を打つしかない人もいる。

それは浮気した相手のせいじゃなくて、自立心を失って恐怖で心が盲目になった自分の責任である。

 

 

 

自分に起きたすべての現象は自分が原因で起きている

 

自分にあれこれと犠牲や自虐や禁止制限を求め、自立することを放棄してしまって、結果的に自分が結婚生活および家庭生活を破綻させるのが家庭崩壊のパターン。

 

自分を破綻させようとしている、自滅させようとしているので、周囲の現象もそのとおりになるのだ。

 

話し合いのできない人間関係は自ずと破綻する。

我慢は暴力だから。自虐的行為だ。

 

我慢ばかりでお互いに心を開けないのに仲良く暮らしましょうなんて、見たことない。

人間は自立がひとつの生きるテーマとして共通しているから、それがお互いにあるいは片方が妨げられていると感じれば、古いを壊すために動く。

 

お金、教育、家事育児、生活のちがい、価値観のちがい。

 そういうのを含めて自分に合わせるよう、自分が理想とする生活をするため、家庭を守り続けるために、「しっかりしてくれ!」と求めつづけたらどうなるか?

 

「しっかり」「ちゃんと」が息苦しくなることウケアイである。

 

 

家庭内の暴君と奴隷を生む勝ち負けの意識

 

自分に条件を求めるのなら、もちろん相手だって条件を求めてくる。

そこにあるのは等価交換であり、これをしたんだからこれをしてくれ!という犯人と警察の要求試合である。

 

犯罪現場や、ビジネスライクな、人の心が感じられない、あたたかみのない雰囲気が家庭に再現されて、健やかな家庭生活なんておくれるはずもない。

 

競争、勝ち負け、優劣、愛情の要求試合が家庭を渦巻いて。

相手を思う通りにすれば自分の勝ちで、自分こそが正義であり支配者として君臨し、家族を奴隷のようにする。

 

勝者こそが強者で、敗者は負け犬のように従わなければ許されない家庭で、健康な精神も肉体も育つわけがない。

 

そんな独裁的家庭生活のために「しっかり」しろ?「ちゃんと」しなきゃ?

働かなくちゃ?仕事をしなくちゃ?稼がなくちゃ?食べていかなくちゃいけない?

 

子供を教育しなくちゃいけない?

お金がなくちゃいけない?

子供のため?家族のため?

 

自分を犠牲にしてだれかに暴力を振るうことが正義?

あたたかな家庭?あたたかな家族?

 

暖かさや愛がいったいどこにある?

そんな勝ち負けや競争をする家庭にあるのは、勝者と負け犬、奴隷と暴君だ。

 

負けた人間も勝ってしまった人間も、外で対象を蹴落とし、自分の価値をいつもなにかと比べて勝った負けたと一喜一憂し、心のあるものですら物のように扱うのだ。

 

そのことに気づかない人間が、あたたかで健康的な家庭を築けるとは、私は思わない。

そういう家庭で育ったのなら、自分の教育をし直すことが最優先だ。

 

 

自分と自分との人間関係

 

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自分自身との人間関係

 

 

相手に条件をつける人は、自分に厳しい自虐的な人だ。

家庭生活どころか、自分の生家の家族ともわだかまりがあるし、人間関係そのものがどこかしら問題を生じているだろう。

 

自分自身との関係も人間関係に含まれる。

自分との人間関係がすべての外側の人間関係に反映する。

自分の心がすべてに反映され、現象として現れるのがこの地球において絶対の法則である。

 

この絶対的な法則に則れば、自分自身および現象を思いのままに、自由自在にできるが、それをするには自分の心を限りなく解放する必要がある。

 

「自分にはなにも問題ありません」なんて論外中の論外。

だったら思いのままに自由自在に現実が動いているんだから、「問題ない」なんて言葉が出てくる時点で不自然である。

 

自分に対して条件付きの愛情を注ぎ、それを相手のためにもやることが愛だと本気で勘違いして、相手のために動くこと、なにかをしてあげることが愛だと信じているブログも多々と見受けるが、それってクソ重い。

 

してほしいって頼んでいないことをするのは、自分がそうしてほしいっていう要求として相手に伝わる。

 

すると、相手もその人のために動かざるを得なくなり、重荷になっていく。

もしくは、お互いに条件付きの愛に慣れきっていると、それが自然かのように感じられるが、傍から見れば妙な違和感を感じるものである。

 

水彩絵の具のなかに一滴、油絵具がまざっているような、馴染んでいない違和感である。

 

自分との関係が人との関係にすべて現れる。

人間関係を見直せば自分との関係がつまびらかになる。

その人を見れば、どんな家庭で育ち、毎日どんな生活をしているのかも想像できる。

ポーカーフェイスなんてしたって、隠せないものはあるのだ。

 

 

自分が自然体でいられる人

 

祖母みたいな大きな懐の人といっしょにいたいと思った。

なぜなら私がとても気楽で自由で、お互いに干渉しすぎることもない。

自然体でいられるから。

 

ときどきうっとうしくなることもあるけれど、自分に原因があることもあるし、相手ばかりの原因とも限らない。

 

最近は私自身が変わってきたおかげで、祖母の言動にいちいち感情的に反応しなくなってきたから、口論もぐっと減っている。

 

だけど、都合よくそんな人はいないだろうと思っていた。

それに、祖母にとっては私は重荷では?と気兼ねするところもあった。

 

お金もなくて家のこともしなくて、いいのだろうかと不安だった。

自分の存在がお荷物のように感じられるときもあり、自己嫌悪していたときもあった。

衣食住もお世話になっていて。

 

でも、私が祖母なら「気にしなくていいんじゃない?」と言う。

私が祖母の立場で、孫娘がいて、一緒に暮らしていて、気にしているふうなことを言ってきたら、あっけらかんとそう言う。

 

だって孫娘と暮らせるなんて、私は幸せだと感じられるから。

楽しそうだな。孫と暮らすのって。

いろいろあったとしても、自分を慕ってくれる孫ってかわいいと思う。

 

孫娘には、なるべく心の不便さをかけたくないな、とも思う。

私がいっしょに暮らしていて色々と悩んだりしていたから、孫とはそういうわだかまりをちゃんと解消したいと思う。

自分の立場に投影してそう思っちゃうんだろうけれどね。

 

祖母と同じ懐の大きな人なら同じことを言うと思う。

祖母と同じかそれ以上に懐の大きな人だっている。

祖母が最大じゃなくて、それ以上の人がいるんだから、絶対私も出会えるって信じている。

 

 

あとがき

 

でも。結婚って何?夫婦って何?

結婚ってなんなんだろう。

結婚が正義なのかな?結婚は正しい?

結婚?夫婦?家族?なにそれ?

性別とか、性差とか、妊娠出産のリミットがある女性とそれがない男性。

絶対的に埋めようのない性差。

 

『結婚』に関してひとつの思い込みは外せたんだけれど。

あと『家族』に関する思い込みも。

ただ。じゃあ。

結婚って何?家族って何?家庭ってなに?

男って、女って、子供って、妊娠のリミットって、性差って?

 

そういう面にいま、私は向き合っている。

向き合わざるをえない地点にいる。

 

でも行き詰まって、いままで溜め込んだメモをブログに打ち込んでいる。

メモを見返していけば、新しい視点や解釈が出てくるし、心の整理やひっかかりを見つけるのに役立つ。

 

この記事のようにね。