@自分こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

家の外からきた「ヨソ者」「新入り」にたいする怒りの正体

私、よくこの家で生きていたなあと思った

 

記憶の保存と引き出しがすこぶる性能が良いから、幼児期の恐怖体験をありありと思い出す

 

適当に忘れていれば適当に感情を浄化すればいいところを、カラー映像で、言動から行動から表情まで描写しつつ、鮮明な感情が記憶に保存されていて、思い出して覚えていれば、いつでも引き出せる

 

むふふ、性能が高い私の記憶力

だけど、内観してすっきりしないと収納棚にしまえない記憶録画たち

せっせと内観をして、記憶の謎を解いて、保管して…

 

家族や家族関連の人への怒りや恐怖が色鮮やかによみがえって内観がはかどるけれど、楽しい記憶ならまだしも、暴力やら虐待やら恐怖や殺意やらこもごもの記憶ばかりで、ちょっぴり気持ちが大変な今日このごろ

 

まあ当時の楽しかったことを思い出しても純粋に楽しかった、といえないものばかりだけれど

 

 

 

内観の初期との変化

世間に関することと、表面的なもの、自分自身の自己嫌悪などに向き合っていたものが、9ヶ月を経て、幼児期に変わった

 

幼児期の自分、両親や家族、家庭環境について集中的に向き合う段階に入った

 

とくに、消えない記憶の謎、気になるけれど解けなかった謎が、両親への気持ちに原因があったりと、ここでそうつながるのか、な記憶がちらほら

 

だけど、これがどうも記憶を掘り出すほどひどい

 

母親と暮らしていて、母親が父親との再婚が無理とわかるやいなや、保育園卒園と共に、祖父母の家に預けられた

 

そこには叔母がいて、叔父もいた

 

彼らからすれば、私は「ヨソ者」で「新入り」だ

 

叔母がまさにボスザルのような、監獄看守のような人間だった

 

母親と同じくらい性格がキツクて、悪くて、母親同様に離婚

 

自分がされたことをし返す、怒りがいっぱいの女に寄ってくる男はそういう男であるということをありありと学んだ

 

叔母は、それはもう、正義感という名の暴力がすさまじい女だった

 

祖父母の家では、新入りのヨソ者(家の外から来た人間すべて含むが客は除く)にとって、監獄のような生活環境、逐一行動が監視されていた

 

先に住んでいる人間に逆らえないように、反論する力がなくなるくらい、従順になるまで恐怖を植え付けられ支配されていたことが、記憶と感情を分析していて浮き彫りになってきた

 

ほんとうにひどい

 

叔母は、特に私の行動言動の一挙手一投足を監視し、気に入らないと思えば小学生でも容赦なく暴言(言葉による暴力、モラハラ、拷問、虐待の類)で制してきて、自分が監獄の主とでもいわんばかりに威張っていた

 

ほんとうにこの家は私にとって監獄だった

逆らったり、反発したり、口答えしようものなら10倍100倍で返ってきて、従順以外は許されなかった

 

まさに、家族の奴隷か囚人のようだった

 

叔母が出ていったら私の中から怒りや恐怖が大噴出することも不思議ではなかったのに、叔母が嫁入り後、母親との大乱闘がはじまる

 

体罰に近い虐待、後に言動による虐待を受けることになる

祖母も今でこそマトモだが、当時、この母親をけしかけていたのは祖母であった

 

母親に悪魔と言われたこともあるが、どちらが悪魔かわからない

当時の私はただ「あなたたちにされたことを仕返しただけだ」と言うだろう

 

母親や叔母をはじめ、この家系の人間たち、これまでに外で出会った人たちは、されたことを仕返して、それを正義という皮をかぶせた暴力だということ、はたまたちょっとした口遊びだという言い方をして、暴力虐待、差別偏見にまったく無関心だった

 

これまでの日本がそういった暴力に無関心で見ないふりをしてきたとも言える

それが必要だった時代もあるが、今は心の新時代である

 

時代の遷移から逃れるすべはなく、私たちは時代を生きるための順応する力、暴力や支配服従ではなく、お互いをありのままに対等に認める愛と心の時代だ

 

平成を卒業した令和の日本では、暴力虐待、差別偏見にたいしてとても厳しい見方が広まってきていて、人の意識が変わりつつあることを感じる

 

より生きやすい日本、より自分らしく生きられる世界を作るために不可欠な変化であると強く思うし、とても喜ばしい変化だ 

 

 

 

しかし、過去、この家、私の周辺では、子供だろうがなんだろうが、ヨソ者新入りはこの家でくつろぐなんて許されなかった

 

心が休まるのは一人の部屋だけと思いきや、やっぱり平和が乱されるので、家のどこにも子供の私の安らげる場所はなかった

 

子供の私は安らげる場所を求めていたけれど、そんなものはどこにもなかった

探し求めても、大人たちは当てにならず、戦場のような家庭と学校を過ごしていた

 

母親に邪魔扱いされて預けられただけで、好きで祖父母の家に住んだわけじゃないのに、なにもしていないに、ひどい仕打ちをうけたものである

 

 

 

もし、もしも、私が体罰による拷問を受けていたら

 

私は彼らになにをしていたかわからない

 

窮鼠、猫をかむという

 

当時、子供の私には負担が大きな怒り霊もいた

 

彼女は怒り霊として私の内にいたので、手なんて出そうものなら反対に彼らが殺されていたかもしれない

 

殺された怒り霊だったから、こちらが体罰を受けたり、殺されそうになればどうなっていたかわからない

 

危ないなと思った出来事は一度二度ではなかったし、私も彼らも五体満足で生きていることが奇跡的だなあ、と思う

 

私が監獄生活に耐えたからだ

 

何度、道を外しそうになるのを歯を食いしばって耐え忍んだかわからない

 

今でも彼らへの嫌悪感が拭えないので、内観をしている次第

 

 

 

それにしても、よくできた地球生活計画である

 

彼らが手は出さずに口だけ出していたのは、私が手を出されたらなにをしでかすかわからない存在だった、あるいはそういう存在がいたから、かもしれない

 

今でこそ、彼らも怖い気持ちを感じた時があるかもなあ、なんて思える余裕もある

 

けれど、当時は10歳にも満たない、6歳、7歳の子供にたいして虐待や拷問、監視行為を働き、大人に逆らうなと口答えや反論さえ許さないのは、この近代日本では人権侵害である

 

当時からいままで、家族に対して、私の中には恐怖しかなかった

 

敵意、殺意を日本の子供がもつのははなはだ異常だ

 

でもそれも無意味ではなかった

 

すべてには意味があり、私が選んだことだった

 

ただ、子供の私にもう少し知恵があれば、彼らを虐待者として通報できたな、とも思う

 

残念ながら、生きることに必死でそれが思いつかなかった

 

まあ、通報したところで、当時の私に”助け”が入ることはなかっただろうけれど

 

だれも当時の私を助けられなかったはずだから

 

私が小さいときに家から助けられたら、怒り霊の気持ちを慮ることはできなかったのだ

 

ふつうの環境で育った人には無理なことを私は成し遂げた

 

必要なサポートも幸運にも得られた

 

辛さ痛さ苦しさを知らないのほほんした環境で育ってきた人に、怒り霊となんて関わったら取り込まれてあの世逝きだろう

 

凄惨な経験をした人だけが対応できる

 

なんたって、自分がそういう体験をしてきたから、そういうこともあるよねえって思うだけだから

 

呪いのような儀式があろうが、大量殺戮があろうが、そういうこともあるよねえと世間話みたいなものに感じるのだ

 

人間ってそういうところあるからねえ、って

 

そうやって冷静に対応する力が必要だったから、子供の私がもし人に助けられていたらできなかったかもしれない

 

そんな子供の私だから、凄惨な経験と環境になったとも言えるから

 

その経験を生かして、乗り越えて、1000年越しに願いを達成した

 

1000年の間に達成できなかった怒り霊の供養を先祖のだれも成し得なかったなかで、現代の私が達成した!

 

いやあ!よく頑張ったなあ、私!なはは!

 

人生に捨てるところなんてないんだー!内観やるぞー!