pyoさんの現時点での最新記事、「長いよっ」ってあるから文字数調べたら3000弱。
でも長いわりにサクサク読めたから(私は)、3000文字ってべつにしんどいほどの文字数じゃないんだな~と人の記事見て改めて実感。
最近、55をよく見る。変化のジェットコースター。うん。感じている。
顕著なのは、恐怖をやっつけようとしなくなったこと。
なにか音楽をかけていないと落ちつなかったのに、内観のときは耳栓をして、自然に聞こえてくる音以外の音は止めていること(PCでの動画再生停止)。
息抜きにふ~っと動画を再生して、ぼーっとして、また内観して。
なあんか楽しいんだな~これが。
立ち上がったら、ひと休憩して、踊る!動く!発散!
人の声がないとまえは不安で不安で仕方なかったのに、いまはむしろ思考を一旦休めるために動画を再生している、って感じ。
あたしンちが面白い・・・TVの放送復活しないのかな~。
まあ自室でTV観れないから見逃しそうなのでオンライン配信のほうがいいんだけれど。
新・あたしンちのほうがソフトなノリがよくて好きだ。
ぼのぼのは声優さんが変わっちゃっているんだよねえ。時代だよねえ。
話をよいしょともどすと、恐怖って、最初のほうは自分へのいじめ感情とか、傷つける感情だったり、ほんとうに自分自身の心が恐怖を感じていることが多かった。
pyoさんとのメールや内観がぜんぶ残っているんだけれど、最初のことは1万文字?以上くらい吐き出しても吐き出しても、なかなかすっきりしなくて(苦笑)
どれがすっきりなのかもわかんなくって。
思い出してみると、すっきりしていたんだけれど、あ~大変!って感じが勝っていたかも?
短期間でやろうとするからだろ(笑)ってツッコミ入れるなあ、今なら。
まあ6ヶ月って期間にやれることぜんぶガチでやる!!って決めて臨んだから。
なんて思われようと代金分以上のものを学んで身につけるんだ!!って決めて、最初から最後まで絶対に曲げなかった。
そういう積み重なって積み重なって心が埋もれるほどだった上澄みを、じゃわーっと手放してきたいま、出てくるのは、やっぱり変わらず不安だったり恐れだったりするんだけれど、質が変わってきた。
たとえば、自分自身を心配してのことだったり、こういうときにはどうすればいいの?という不安な気持ちを、自分でやわらげて手放す方法を心が教えてくれたりする。
それって不安なことかな?ほんとうはこうなんじゃない?と語りかけてくれる。
恐怖と心が対話している。
自分と自分との対話なんだけれども、私の場合はそんな感じ。
そうやってやわらげる、手放す方法を聴いていく、掘り下げる、納得するまで問いかけていくと、不安や心配が減っていって、最後には、なあんだそっか~、そうだったのか~と一安心して、いつのまにかあれだけ怖い怖いと思っていたものが怖くなくなっている。
最初はもうほんとうに自分と向き合うのが怖くて怖くて、痛くて、嫌で嫌でたまらなくて、でもやらないと進まない、成長できない、幸せも感じられないってんで、悔しさと必死さから、幾度とダウンした。
いまはダウンするまで自分をいじめることはなくなったし、すごく怖いという気持ちが出てきたら、まだこんなに強い気持ちがあったのか~、自分はいろいろなものを抱えていたんだなあ、つらかったよなあこんなに重いものを背負っていて、でもそれを自分が気付くまで抱えて耐えていてくれて、どうもありがとう、大変だったよねえ、と思うようになっていて、心が日に日に軽くなっていくのを感じる。
去年の自分を思い出すと、なんだかほほえましいというか、受験生みたいだったなあ、なんてほっこり思ったり。
受験勉強したことないから本人やご家庭のみなさんがいかに大変かは、イメージでしかわからないのだけれど。
受験勉強みたいにやりたくない勉強じゃなくて、自分のしたい勉強だったからひとりでも頑張ってこられたし、いまはそれが心から楽しい。
学校の勉強より自分のことや心のことを学びたかったんだよね~。
手に職をつけたいっていうのもあったし、大学だけは行くことはないなと確信していた小学生だったな。
自分が学びたいことだけを学べる教育の時代がもうきている!!
個人的に、1~2年生で数学と国語学んだら、あとは自由選択教育でいいと思うんだよねえ。学校となると選べる教科も少ないし、自分でスケジュール組めないし。
やらされている感、半端ないんだよねえ。
勉強は自分でやりたくてやるもので、やらされている感があったんじゃ身につかないよ。面白くないもん。
いまはオンライン講習も充実しているから、ぎゅうぎゅう詰めの教室で学ぶよりよっぽど効率的だと思うんだけどねえ~。
オンラインで調べながらだから、やろうと思えば自力でどんどん解けるし。
面白い、楽しい教科、科目だけ伸ばせばいいじゃん。
分野に特化することが才能を育てるってことじゃないのかな。
現代はAIも進化していて、有用な機材や素材がたくさんあるんだから、自由教育のほうが私は勉強楽しいって思えるだろうなあ。
ストレスも減るし、自分のペースってほんとうに大事だよ。環境もね。
経済的な問題でっていうなら、住み分ければいいじゃん、選択できればいいじゃんって思う。
最悪、勉強なんて大人になってからでもできる。
むしろ大人になってからのほうが好きに勉強できるから私はこっちのほうが好きだな。
そんなみんなの心に共通すること。
不安や怖れや心配を抱えるのは、とても重い。
自分で手放してみると、いかにそれらの感情が重いものだったのかを実感する。
感情ってなんで重いの?恐怖が重いってなんで?って、内観はじめたころはさっぱり理由がわからなかったんだけれど、手放せば手放していくほど、強い感情を手放せば手放していくときほど、重かった!と感じるられるようになっていく。
「あれはもう少し軽かったけれど、こっちはすごく重かったなあ」と、だんだん感情の強さと重さがどう比例しているかも予想できるようになったり。
pyoさんが音楽も動画もないほうがいい、なんてブログで言っていて。
うそでしょ!?冗談でしょ!?びっくりして、信じられない!!って思っていたのに、自分が早々にそういう状態になるとは思いもしなかった。
TVは自分の部屋にあっても断線しちゃってゲーム用になっているから観れないし。
ダンスのときにやったら大画面で観られるかあ。
こんどやってみるか?まあいいか(笑)