@自分こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

もうすこし地球で生きていく

いますぐ帰ろうと思えば帰れるのに、どうしてそうしないんだろう。

 

夜になるとまたオーラ体が現実逃避しているのか、この世にいるのにこの世にはいない、意識があるのかないのかよくわからない感覚。

 

あ、このままいったら魂だけ抜けて肉体が徘徊するかも?という感覚。

 

虹色の光と砂漠が見えて、その中に入ってみた。

 

白光する階段をあがっていって、なにかに問いかけられたような、自分に問いかけたような。

 

「なんでいまその瞬間、死んで帰れるのに帰らないの?」

 

正義感に関する観念をえいやーと外したときに、なにか支えになっていたものまで外れたらしく、夜になると意識があいまいで、帰りたくてたまらなくなる。

 

階段の途中で立ち止まって、問いかけには明確な答えは出ず、問いかけの声がうるさくなってきた。

 

そうだ、この瞬間今すぐ死ねば帰れるのに帰らないのはなんでなんだろう。

 

そう思って階段を飛び降りたけれど、床はなかった。

 

そりゃそうだ。これは幻想だもの。

 

でもどうして死なないのだろう。

死ぬのが怖いのだろうか?

死にたくないのだろうか?

渋々生きているのだろうか?

イヤイヤ生きているのだろうか?

生きていないといけないから生きているのだろうか?

 

いまのいままでは、正義か悪か、正しいか間違っているかで、自分を支えにして生きていたんだろうと実感するここ一週間ほど。

 

正義と悪の支えがなくなって、なにか、堰き止めていたものがどかーんと流れ込んできていると感じる。

 

そして、私はまだそれを受け止めきれず、逃げて、目を背けていると感じる。

 

同時進行している内観では「私は幸せになる資格がないのか!?」という声も聴こえた。

 

なにもかもがうるさく聴こえる。

 

愛とか~しましょうとか、聞くだけで、思春期の狂えるナイフみたいにさわるなふれるな状態。

 

刺々しいなあと思いつつ、この棘で自分を守っているなあ、とも感じる。

 

 

~数十分経過

 

 

というわけで、鼻詰まりしてぼてっとしたまぶたで、自分と向き合った。

 

ハイヤーセルフ、ツインレイ真夢、いろんな存在の期待、自分への期待、いままで自分がやってきたことが無駄になるとか、しなきゃいけないことがあるんだとか。

 

役目とか、しなきゃいけないとか、なんかいろいろまた期待を勝手に背負って生きていかなきゃいけないんだと思い込んでいた。

 

期待を裏切ったらダメだと思っていた。

自分が生まれてきた意味があるんだ!生まれてきた意味がほしい!とか。

 

いらねーよそんなもん、って思っちゃった(笑)

なんで意味がなきゃだめなの?意味がないと生きていたらいけないの?

自分ってだけでもう十分意味があるじゃん。

意味がないない言って、ほしい意味がないってだけだった。

 

pyoさんたちみたいにしなきゃいけないことがあるんだ!というのも出てきた。

(pyoさんたちはできることをしたくてしている)

私だってここまでやってきたんだから、なにかすごいことをしよう!

などなど。

 

いまここで死んで帰ったら、また一から出直しって・・・もったいない?努力が台無し?

 

そうかなあ?

 

ハイヤーたちは、べつになんかしろとは言っていない。

人間側はやれとは言われていないし、しなきゃいけないこともない。

そう思っているのは、自分だけだった。

 

自分がやると決めたことは自分のやること。

だけど、ハイヤーたちのせいじゃないんだ。

自分がやると決めたことを思い出そうとして苦しくなることはあるけれどね。

 

ハイヤーセルフたちがこちらに期待をかけることはないと思う。

愛だから。気づいてほしくて色々サイン出すし、それを見守りはする。

 

そうやってハイヤーセルフたちは、こちらのために願いはすれど、無視すれば悲しみ怒りはすれど、しなきゃだめだよ、とは言ってない。

なにもしなくてもいいんだよ、って言うよ。

 

ハイヤーセルフたちが期待をかけることはないと思うんだけれど、私は期待をかけられているんだと勝手に勘違いして、「勝手に期待しないで!」などと、思春期の親子よろしく、刺々しい態度を取った。

 

あとは、今すぐ帰っていいのかなあ?今までやったことが無駄になってもいいのかなあ?

そういう、今までのことどうしよう系も出てきた。

 

うん、べつにいいんだよ。そうしたらまた一からやり直そう。

いいのいいのゼロになったって。またやり直せばいいんだから。

今までやってきたことだってなんにも無駄になってないんだから。

 

また辛い思いをするとは限らない。

自分のやるべきことを他の人がやったらいいんだから。

 

無責任かな~とも思った。

いままでの私なら正義感にのっとって「やらねば!」って気負っていただろうね。

 

いいんだ、そういうところは無責任だって。

そういうところはべつに迷惑かけたっていいんだ。

自分がしなきゃいけないことはもう済ませたんだし、べつにそういうところは、少しくらい無責任でもいい。 

 

ちょっとくらい無責任になっていいのは、幽霊とか浄化とか、しなくちゃ!いけないことはないんだ。

人生や自分に無責任じゃないよ、スピリット系の問題とか、役割とか使命とかの問題ね。

 

思い込みが強くて「せねば!」「やらねば!」「こうでなければ!」「期待に答えなければ!」「それは悪だ!」「いますぐやめさせるべきだ!」「こうするべきだ!」とかとかも、もっとゆるくていいのよ~。

 

自分のしていることを人のせいにするんじゃないなら、いいのいいの。

責任を負うべきところとそうでないところはきちんと区別しないと。

なんでもかんでも自分の責任!じゃないんだから。

 

それに私にできることなら人にもできるし~。

私が全部ほっぽって帰ったら、生きている人にお鉢が回るだけ。

回ってきたって、やりたくなきゃやらなきゃいいじゃん。

責任のとり方は自由なんだよ、私たちは。

 

ていうか、私にはもうやると決めたことはないと思うんだよなあ。

しらんけど、思い出さんもん。出てこないもん。

 

少なくとも過去世の問題には片をつけたので、使命は終わっている。

この間、海十(硫黄島兵)の想いも光に送った。

あとは先祖供養くらい?生きているうちだけ。

 

もうやることはないと思うんだけれど、もう少し地球にいる。

もう少し地球で生きる。

 

しなきゃいけないことはないけれど、この地球生活を楽しんでみたい。

やりたいことをやってみたい。楽しんで、エンジョイしてみたい。

 

向き合ったら涙がいつしか止まって、悲しい気持ちがどこかへ消えた。

泣いてすっきりした、とも言える?

 

帰りたいって気持ちを抑えようとしたり、いけないことだって見ないふりしていたかなあと思う。

 

帰りたいなら、帰っていんだ。

帰りたい気持ちを否定することない。

 

死んで帰りたい、楽になりたい気持ちもそのまんま認めたほうが楽になる。

すぐに死ななくても、その気持ちをぜんぶまるごと認めたら、あ、やっぱもう少し生きてみようとか思えたりするかもしれない。

 

ただ私は自殺は惨めで嫌だと思ったし、人に奪われる生き方もしたくなかった。

自然災害は仕方ないけれど、災害のなかでも、生きることをあきらめるのは違う。

選択肢は、最後まで生きることだけ。それが唯一の帰る方法だな~と。

 

 

 

地球ホームシックをいったん抜けて。

ずっと懸念していた、叔母へ「貸したもん返せ」の手紙を出した。

22時過ぎにマスクしてほぼ終始走って投函して帰宅。

 

LINEやメールでつながりたくない。一方的に出せるはがきが一番私に合っていた。

ちょうど祖母への贈り物が叔母から届いていたので、住所もばっちり。

 

言いたいことが言えないままじゃ、この世を生き抜くのは厳しいかなと思って、勢いのままに出してきた。

 

はーすっきり!!去年からずっと悩んでいたこともこれでサヨナラ!!

私はもうしばらく地球で生きていく。辛いことはもうイヤ。

 

まだまだこだわりがあるけれど、この地球生活のうちにできる限り手放して気楽にたのしく生きていこう。

 

しかし、まだこれで終わりじゃない。

私は思春期を抑圧して過ごしてきたのでいまさらハイヤーたち相手に思春期を発動していて、素直になれないときた。

 

心がブロックしてしまうと感じる。

あっちがアクセスしてきても私がブロックしているなあと感じる。

「いやだ」と反発心がもたげる。

 

思春期のあなたたちはこんな時期を過ごしたのね~←思春期やり過ごしたヤツの台詞