狂ってる。
うちの家族は狂ってる。
いや世界中の人間がなにかしら狂った爆弾を抱えているんだ。
子供を虐待することに、家族や周辺は快楽を覚えていたんだと気づいた。
私もいつのまにかそれに染まっていて、異父弟を虐待して快楽を感じていたのか?
今でこそなんであんなひどいことをしたんだと思うのに、当時は暴力を振るわれて当然だと、異父弟のことを思っていた。
可愛がろうとした。認めようとした。
でもできなかった。ムカツイてムカツイて仕方がなかった。
自分を抑えられなかった。
なぜか私の中には小さい子を虐めるのは快楽的だと感じる。
虐めて泣かせることが。
それを思い出して、母もまた私を虐めて泣かせることが楽しかったのかもしれない。
だって母は私を虐めながら笑うことが多かったから。
そう気付いたら、これも母親からの人格の取り込みだと気付いた。
気付いたので、取り込みは解放されている。
小さい子を虐めて楽しむような暴力は私にはない。
幼児虐待でしょう、それ。
過去記事より引用:子が親より幸せになってはいけないならあなたも親より幸せになることを禁じている - 心を科学する-スピリチュアル*サイエンス-
私は自分のなかの感情が怖くて否定した。
私も暴力に快楽を感じていたのか。
でも自分はやろうと思えばどこまでも冷酷になれて、人を虐めようと思えば氷のように冷たい表情でできるだろうとも感じていた。
だけどそれは自分だからと受け入れていたが、快楽までは理解が及んでいなかった。
母親が笑いながら私を虐待したとき、体罰、虐待をくわえていたとき。
私はたしかに母親から暴力への快楽感情を拾っている。
祖母が祖父に首根っこをつかまれて引きずり回されたことがあると聞いたときも、祖父からは暴力への快楽感情を感じた。
こどもに暴力を振るって楽しんでいたんだ。暴力を振るう人間たちは。
こども・・・無抵抗、逆らえない、逆らっても安全、無力な、絶対に自分が勝つ、ぜったいに自分が支配できるだろうとふんだ相手に、シツケという気持ちで暴力を振るって、快感を得て、ストレスを解消して、胸のあたりにエネルギーを感じていたんだ。
SNSで安全なところから人を非難するのと同じ。
もっとも安全な場所から、自分が ”わるい” と判じた相手を暴力でもって攻撃して相手の生命力を奪う。
こんなやつらが世の中にごまんといるなんて反吐が出る。
私がイメージしたとおりなら、祖父の本家を含めて、こいつらはこどもにシツケと称して弱い立場の人間に暴力を振るい、快感を感じ、くわえて、相手の生命力を奪って自分の生命力に変えていたんだ。
殺心バンパイアだ。
エネルギーバンパイア、暴力のすべては殺心行為に等しい。
心が死ねば生命は死んだも同然だ。
冷静になろう。
なぜこどもに快楽を覚える暴力を振るうのか?だ。
そして私がこの家系の呪いにどういう影響を受けていたのか。
まだまだ解明するべき項目がいくつかある。
結論記事
いま求められている愛の視点からの育児教育と、自分自身の愛の再教育 - 心を科学する-スピリチュアル*サイエンス-
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