自分と心を科学する@こころ科学

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いじめっこいじめられっこ、被害者と加害者も解釈(思い込み)にすぎない2

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いじめっこいじめられっこ、被害者と加害者も解釈(思い込み)にすぎない1

 

 

自分はいじめられていて、かわいそうだから、かばってほしい。守ってほしい。

かわいそうでか弱い自分を味方して、代わりに相手(いじめっ子として私が解釈している人)を攻撃してほしいと思っていた。

 

長男嫁は、かわいそうないじめられっ子意識をもって、嫁ぎ先の家族を夫を使って攻撃するってことは、相手をいじめっ子ととして解釈して、自身をかわいそうでいびられているいじめられっ子にしている。

 

長男はすっかり尻に敷かれていて、おブタ女王様の言いなり召使い。

依存心が強い人ってこういうことになるよね。

 

ついでに第4チャクラはフル逆回転しているしね。

嫁も長男もだけれど、被害者意識つよい人って第4チャクラがフル逆回転していることが多いし、第1チャクラからしてぐらぐらしている。

 

 

 

いじめっ子といじめられっ子の解釈って、私にも心当たりがある。

 

でもこれ、いつまでも過ぎた出来事に関して、自分はいじめられっ子で、相手はずっといじめっ子として思い続けるのって、執念深い粘着質ないじめなんだなーと気付いた。

 

私も過去記事でいじめられていたと書いていた。

でも、すでに過ぎたことで、私はもういじめられていないし、いじめられっ子じゃない。

 

それなのに、いつまでも過去に私にあれこれと言った彼ら、傷つけてきた彼らにたいして「いじめられた、私をいじめたやつらだ」と執拗に言い続ける、思い続けるのは、それもいじめなんだ。

 

いじめっ子やいじめられっ子って、自分がいじめられた、自分がいじめた、まわりがいいじめだという解釈をしなければ、そこにいじめは存在しない。

 

だれもいじめだと思わなければそれはいじめにならないし、本人がいじめられたと思わなければいじめも存在しない。

いじめられっ子もいなくなる。

 

じゃあ、いじめっ子だと思っていた彼らはなんだったのか?

被害者か?加害者か?

 

いいや、被害者も加害者も存在しない。それをつくっていたのは私たちの解釈だ。

こちらが被害者だと思えば、相手は加害者になる。

 

加害者はいつまでも加害者として扱われるので、被害者をいじめる。

被害者はいつまでも自分を被害者だと思って、加害者をいじめる。

 

被害者も加害者もあったもんじゃない。

やられたからやり返す、恨み続ける、あいつらは悪いいじめっ子だと解釈して過去を力いっぱいつかみつづけるのは、執念であり復讐であり、それもイジメなのだ。

 

被害者なんてものは消え失せて、私かわいそうと思ってもいじめ。

あいつらが悪いと思うのもいじめ。

 

やられた自分はかわいそうで、そういうことをする人はひどい人と思うのもいじめ。

いじめた、いじめられたと思うのもいじめ。

 

これって、解釈が生み出した虐待だよね、と私は思った。

 

そうやって「自分かわいそう」と相手をいじめる人の土俵にあがることは、自分を相手の思う通りに加害者にしてしまい、相手に傷つけられることを許してしまうことになる。

 

 

 

過去はすぎた。

終わったことだし、被害者加害者ってのは、個人の解釈でいくらでも変容するし、被害者が一瞬で加害者になるのだ。

 

そんなもろい境界線の被害者、加害者なんて、存在しないも同然だ。

過ぎたのにいつまでも執念深くやり続けるのは、自分だって同類になってしまう。

 

私がいじめられた!いじめられた!あいつらは悪いやつだ!とやると、その憎たらしい相手と同類になってしまう。

 

それに、私が「なんでいじめっ子にされなきゃいけないの!?ムカツク!!おまえなんか仲間はずれにしてやる!!」

 

そうやって相手が被害者として振る舞うことを本気にして、感情に同調してしまうと、こっちがいじめられることになる。

 

いつまでも加害者意識を相手に持たされている気持ちになって、けっきょく、こっちの心がギスギスする。

 

だから、被害者意識を持ちたがる人、過去に執着して自分はいかにかわいそうか、あいつらはどんだけ悪いことをしたか、そう言う人の同じ土俵には上がらない、下りる。

 

相手の感情を拾わない、加害者意識も被害者意識も手放す。

ありのままにこの人はそういう人なのだという視点で接する。

 

相手にとって自分がどう見えていたとしても、こちらには関係のないこと。

相手の解釈は相手に任せるが、こちらは余計な色付けをして解釈しない。

 

「相手はなんて性格が悪いんだ」

「この人っていつも私をいじめっ子だと思っているのね」

「この人ってどうしてこうバカなの。救いようがない!」

 

・・・などと色付けをせずに、ただあるがままにかわいそうでいたい人、そういう人なのだと認める。

 

相手に同調すると加害者役にされるので、感情は拾わない、事実を見る。

そのためには自分の中の同調する波長を手放しておく、打ち消しておく(内観)ことが対策になる。

 

 

 

私はいじめません。

加害者ではありません。

あなたと同じ土俵には上がりません。

 

あなたは被害者じゃないし、加害者でもない。

私は被害者じゃないし、加害者じゃない。

 

私はあなたとそのようなやりとりを一切しません。

愛のない行為は一切受け入れません。

 

私は自分をあなたのために責めることもしません。

かわいそうなあなたのためにあなたを責めません。

 

あなたがいじめられたがっていても、私はいじめません。

あなたには利用されません。

あなたがどのように思い込むのも勝手ですが、こちらをコントロールしようとすることは受け入れません。

 

あなたがそうしたいことをありのままに認めます。

でも、私はあなたをかわいそうな人にはしません。

 

ノンジャッジメント

これが自分を被害者たらしめようとする人、自分を支配者たらしめようとする人から身を守る術になる。

 

 

 

過去は過去。

いじめられていたかどうかは、自分の解釈に依る。

いじめられていた、いじめていた、もただの個人の解釈に過ぎない。

 

あなたが、私が、「いじめられた」って思っただけだよね。

傷ついたのも「傷ついた」と解釈したのは自分だよね。

その傷は自分でつけたんだよね。

 

いまなら私もそう言えるかな。

受け入れてしまっていたんだよね。あれもこれも相手の痛みまで。

必要ないし、いらねーし。

そういうときは第4チャクラ閉じるに限る。

 

私にとって幼少期~成年期のいじめっ子らは、彼らに強くしてもらった、自分を高めてもらった、私が愛に近づくために試練を与えてくれた協力者だとみなすことができる。

 

執拗にネチネチと執念ぶかーく「いじめっこ!いじめっこ!私はいじめられた!」って思うのって、被害者から転じて加害者(いじめられっ子がいじめっ子)じゃんって気付いた。

 

てかいつまで被害者でいて、自分をいじめようとするわけ?

いい加減にしようねまったく。

被害者ぶっていても加害者じゃんって言いたくなった。

 

 

 

過去を手放す、許す、とアファメーション、瞑想、チャクラ・クリアリングを続けている私にとってはとても大きい進歩だった。

だんだんとタイムラグで、瞑想とチャクラ・クリアリングの効果が出てきたと思った。