@自分こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

ゲームのブログを削除したこと、悪口を言う人は自分を平気で傷つける人、罪悪感は悲しみに変える

ほかの人も私のブログに投稿していたけれど
コメントもあった
 
でも個人ブログだし
削除するのは自由?
 
コメントまで消しちゃったのは申し訳なかったかなと思う
でもそこは私のブログだから、そこに書き込むのはその人の責任だけど
消そうが残そうが私の勝手だよね?
 
コメント消しちゃったのは悪かったかなと思う
消されるのは悲しいと思うから
恨まれていないといいけれど
 
でも2chで悪口書かれていたからいいかな
それが消した理由ではないけれど
 
有益なコメントはwikiに残したほうがいいかなと思ったけれど
そうするのはコメした人の判断だよね
私がコメを移す理由はないし…
 
2ch界隈で話題にのぼるブログに自分が得た情報を書いたり
みんなが話題にしているからとブログに書き込んでみたり
彼らは私が開設したブログに場所を借りて書きたくて書いた
 
 
 
勝手にブログなりコメなり消して悪口言われたくない
けれど、コメを消されたら、私なら「せっかくコメントしたのに!」と思う
ブログが盛り上がるようにやってあげたから
ブログにコメした内容がだれかの役に立ったかもしれないから…
だったら、自分で攻略ブログを立ち上げたらよくない?
 
他人が開設管理しているブログに、役に立つかもしれないからとブログにコメントをするとき、その人のブログの一部を借りている
こちらはなにも管理もしないし情報をただ書くだけでいい
それを運営しているのは他の人
そのブログにコメした以上、そのブログのものじゃないの?
 
そのブログにコメントしただけで、みんなのもの、自分のもの、自分たちのものだと勘違いしているから、自分のものを勝手に消して!と文句を垂れるんじゃないの?
 
たしかに、私がただコメントする側だけだったら
コメントするだけで、自分の所有物感が出てくる
「あそこに自分がコメントしたんだ」と、まるでブログが脇役で、自分のコメントがメインみたいな
運営管理者がサブで、コメントがメインみたいな
コメントしてあげたんだよ、みたいな
「コメントさせてもらう」という遠慮がちな気持ちが、コメント投稿後は「自分がブログにしてあげた気持ち」が大きくなる
 
あくまでコメント欄は管理者の任意で、ブログの一部を厚意で設置して貸してあげる
それにコメントしたり、閲覧したりするだけで、みんなのもので自分のものだと思いこんでいるんじゃないのか?
wikiじゃあるまいし、個人ブログだ
個人ブログをどうしようがその人の勝手だろう
こちらがコメントしたブログが消えようとも、ただ消えたでおしまいだ
残念だなあとは思うが、勝手に消した!というのはあまりに傲慢だろう
 
勝手に消したことを批判されたくない、悪く言われたくないと不安に思うのは、管理運営者の私よりも、コメントした人や閲覧した人のほうがえらいと思っているからだ
自分が好きにやっていたところに勝手にコメントしてきただけ、勝手に閲覧しただけ、彼らの自由意志だ
それなのに、いつの間にか運営者よりも彼ら訪問者のほうがえらいと感じるようになっていた
 
動機づけでこの優先順位は変わるだろう
①訪問者や閲覧者数やコメントなどがほしいブログ
②訪問者やコメントがなくても自分で好きにやるブログ
 
私の動機のなかに、初めは、ゲームブログなら訪問者もくるだろうし、自分の攻略のためにもなるぞ!と①と②の両方の理由からブログ開設した
でも、①よりも、2chで悪口を言われるようになって、遊ばなくなって、②になっていった
悪口を言われるくらいなら好きにやりたいと思ったし、もうやりたくないと思った
悪口じゃなくて好かれて役に立つブログだと思ってほしかった
みんなのためにもやっていたのに、悪口を言われるならやりたくなくなった
みんなのためにもやっているのに気分が悪くなった
こういう風に悪口を言う人の犠牲になっていると思った
悪口や批判を言う人の犠牲になりたくないのもあってさっぱりやめた
もう遊ばないし攻略情報も載せないから
 
名前を消すことにイライラしていたらしい、悪口を言う人達は
自分たちは匿名で2chで書き込みをしているくせに
私がキャラクターの名前を消すことにはケチをつける
自分の匿名掲示板でしか大きな態度が取れない小心ぶりと重なって悪口を言っていたのかもな
リアルでも悪口ばっかり愚痴ばっかりで、だれかに支配されたままの臆病者だったんだろうな
どこかで発散したくって、2chっていう匿名掲示板しかなかったわけだ
そんなところでしか発散できないくらい、いつも自分をバカにして我慢させる人生を送っていたんだ
自分らしく生きる=名前を消さない、自分をありのまま表現する
ってところでひっかかったのかもな
あとは、話題にのぼるから、嫉妬
その人は注目されもしないんだろう
ちっちゃいことでいちいちイライラしたりショックを受けたりしていそう
自分が大嫌いで自分の悪口ばかり言っているから、他人にも平気で悪口を言えるんだ
 
私も注目されたくて始めたことだから
でも注目されたくない部分もあったから消した
悪口を言う人も、注目されたいけれど、自分を信じられなくて、自分が好きじゃなかったから、そこにひっかかったのだろう
自分を出したら批判される、でも出したいという葛藤で私を攻撃してきた
いつもそうやって自分を批判して、注目されてはいけない、注目されるわけがないとか、自分を卑下しているんだろうな
 
悪口を言われたから消した
そのとおりだなと思ったから
注目されたいなら、正々堂々と名前を出して注目されればよかった
それに悪口を言う人を認められなかった
こういう人たちにブログを使ってほしくなかった
だからこの人たちのせいにしてブログを削除した
私は悪口を言う人の犠牲になったと思っていたけれど
勝手に自分を犠牲にしていたのは私で、自分を被害者だと思ってブログを削除したのも私
だれかのためという目的で、自分を犠牲にしてブログを開設したから、犠牲になってまでやってあげている人たちの一部から悪口を言われるのが許せなかった
「私はよかれと思って犠牲になってまでブログをやってあげているのに、なによ!そんなこと言うなら削除してやる!」と
 
犠牲になってあげているのにえらそうな態度を取るな!
感謝しろ!と思っていた
私はいい意味で注目されたかったのに、悪口を言うなんて許せなかった
「私がせっかくやってあげているのになによ!感謝はどうした!感謝は!」って、自分が犠牲になってまでこういう人たちのためになにかするのが嫌になった
感謝してくれないならもうしたくないと思った
 
自分を犠牲にすると感謝を求めるんだな
「おまえらのためにやってやっているんだぞ!」って、自分を犠牲にしているからで、「感謝しろ!ありがたく思え!」って言うのは、自分を犠牲にしていることをありがたいと思ってほしかったから
 
自分の犠牲は無駄じゃないと思いたから、感謝を求めるのかな
自分のおかげで…自分が犠牲になってあげたから…自分がみんなのためにやってあげたから…
自分が生きていることは無駄じゃないと思いたい
自分はこのために生まれてきたんだと思いたい
自分を認めて許してあげたい
自分を好きになって大事にしてほしい→自分でやれ
自分が生きていてよかったと思いたい→生きているだけで喜びなのに、思いたいってことは、いまは生きていてよかったと思えていない
 
つまりは生きていても楽しくないしつまらないから、だれかから好かれたい、大事にされたい、認められたい、許されたい、感謝されたい
自分が生きていてよかったと思いたいから
 
生まれたときから私達は幸福で喜びで満たされているのに
自分を犠牲にして、我慢させて、自分を大事にもしないで、自分に嫌なことばかりさせて、自分にルールを強いて、誰かに支配されて従っているから、他人にも平気で犠牲を求めて、我慢を求めて、自分を大事にしない(感謝しない)と怒り、世の中はそんなに甘くないんだと嫌なことばかり強いて、自分を許せないので他人も許さず、他人が自身を大事にすることさえ邪魔して、支配しようと必死で、失敗を許せず結果を求めて形にあてはめようと暴力を使い、依存し依存させたがる
 
自分を大事にしてねえのはてめえだ
※私は過去形で「していなかった」だよ
 
悪口批判を言う人も、中傷誹謗や糾弾をする人も、依存する人依存させる人、共依存になる人も、与えたり要求したり、ルールで自分を縛り付けたり、形や結果を先に求めたり、こうでなければいけないとジャッジしたり
そういう人たちはみんな、自分を大事にしていない、自分を犠牲にしている人たちなんだ
自分に愛がないから平気で他人を傷つけられる
自分を平気で犠牲にして傷つけるから他人に暴力を振るうこともいとわないんだ
 
ブログの悪口を言われたとき、情報を見せてやっているんだから感謝しろと思った
自分のためじゃなくて人のためにやっていたところもあるから、犠牲を払ってやってやっているのに、何様だと、悪口を2chに書き込んだ人間に思った
悪口を言う人も自分を平気で傷つけて他人にも暴力を振るえる人だった
そこに私が共鳴して、私も自分を大事にできなくて、平気で自分を犠牲にしてまで人に好かれよう感謝されようとして、悪口を言った人を認められなくて、ブログ削除という仕返しを行った
 
アカウント整理という目的もあったけれど
悪口を言う人がいたから削除した、仕返しの意味もあったのかもしれない
 
私の悪口を言う人が悪いんだ
でも悪口を言う人がいなくてもいずれやめていたかもしれない
私は悪口を言った人を利用してブログ削除の理由にした
罪悪感を植え付けて自責の念を抱かせるため?
後悔させてやるため?
自分が傷付いたことをわからせるため?
おまえらは悪い人間だと知らしめるため?
理由は何でもよかった
「おまえらのせいだ!」と、その人達が悪いんだと主張したかっただけ
 
だって私は悪くないもん
悪口を言う方が悪いんだもの
暴力を振るうほうがいけないんだ
悪いことをしたんだから当然だ
 
彼らのしたことは暴力だったのだろうか?
いや、悲しいことだった
自分を大事にできず、愛することもできないから
自分のことも他人のことも平気で傷つけるのだから
悪口を言う彼らが自分を大事にするとはどういうことか気づき
自分を愛して認めて慈しんで許すことができていたなら
人を傷つけることなど匿名だからなにを言ってもいいんだと、平気で悪口を書き込むことはできなかっただろう
 
自分への愛に目が覚めると自分がいままでどれだけ傷付いていたかを感じることになる
自分を犠牲にしてきた記憶と痛みが癒えるまで時間はかかる
それだけ長い間、自分を痛めつけて犠牲にしてきたのだから
 
自分の胸の中に広がって絶え間ない痛みを知っていたら、むやみやたらに他人を傷つけることなど、できなくなる
自分がとても痛いからだ
他人を傷つけるということは自分も同じ痛みや傷を得ると知っているからだ
痛みを承知で傷つけるとわかっていても言わなければいけないことがあるということは愛がなければできない
 
しかし、愛がないからこそ暴力によって傷つける人が大勢いる
同じ痛みを共有するとも知らずに、愛のない依存、愛のない傷を与えて
自分は正義だという顔をする
 
それはひどく悲しいことだ
自分も人も愛せない人間がそれだけ多いということだから
 
ブログを削除したのは私の自由だ
ブログ運営元のものでもあり、アカウントは私の所有物でもあったのだから、私が所有物を削除することは所有者の自由である
コメントはそこを一時的に借りたものなので、コメントをした人や訪問者の所有物ではなかった
当時の私にとっては、訪問者の中に一人でも嫌な人がいることが許せず、認められず、訪問者よりもコメントよりも、ブログごと削除したい気持ちのほうが上回ったのだ
ブログという家に訪問しにきた客が嫌なことを言う客だったので、家ごと引っ越しをしたようなものだ
 
これについて私が罪悪感を感じる必要はない
罪悪感と感じるということは、相手のしたことを暴力として認めることになる
彼らのしたことは悲しいことであり、自分を傷つけているから他人を平気で傷つけられる、傍若無人な行動だった
当時の私がそれを暴力として受け取ったため、その暴力による支配から逃れるためにブログごと削除した
同じことが起きたら、どうするかはその時になってみないとわからない
気分転換にブログを引っ越すかもしれないし、削除するかもしれないし、ブログは残して新しいブログをやるかもしれないし、わからない
 
だけど、コメントをした人とか、ほかの訪問者がそのようなことをしたわけじゃなったので、巻き込んだのもまた事実
自分が感情的になって行動することで、なにもしていないのに巻き添えを食う人もいることは知った
たしかに突然のことで驚かせてしまっただろうけれど、理解を得る必要も許可を貰う必要もないし、消したかったんだから消した
ただそれだけだ