高次本能研究日記@こころ科学

姓名数数秘7の内観と心理分析、人が自分らしく生きるための本能開花について考える記録日記

ノンジャッジメント。それは自分が何を思ってもなにをしても味方であること

嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。

それでいい。それを許す。

嫌いなうえに許せなかったらどうするか?

そのときは自分と話し合う。

ノンジャッジメント。自分の感じたこと、思ったこと、したこと、すべてありのままに許す。

 

嫌いなものは嫌いなんじゃボケエ!!!!(ノンジャッジメントの話)

 

良いも悪いもなくて、自分のことはありのまますべて認める。

私の好き嫌いのなかには、利己的なものがあるんじゃないかと書いた。

が、私は他人の気を吸いやすい体質であり気質であるため、細やかに気を感知する。

 

そのときに汚い、不潔、気持ち悪い、低次元のぐちゃぐちゃした波動を感じるとこちらの気分まで悪くなる。気分が悪くなるうえ体調も悪くなる。

相手の気配が私の中に無造作に入ってくるので、気持ち悪い、気色悪い、不躾なエネルギー(生霊、想念、感情、深層心理)を放つ存在には極力近づきたくない。

 

あるときなんて、マルチ商法ニュースキンアムウェイ)のニュースキンと関わったら、翌日一日中ダウンした。

このことから危険なエネルギーバンパイア及び気配を放つ危険な人間(生霊)には近づきたくない。物理的にも精神的にも危険極まりないし、人にも自分にも迷惑をかけるため。

 

今の所、近づかない以外に対処がない。

どのような手を打っても、エネルギーは低下する。

自分でやってみてわかったことは、自分よりお金と時間が大事で、休憩をしなかったり、水も飲まない自分の手落ちも原因だった。

 

そんなエネルギーが低下した状態でいくらエネルギーワークをやっても、相手の負の気のほうが強いとそれに押し負けるし、不安につけ入れられて霊に後ろ髪を引かれたりする。

そのため、内観によって波動が共振しないように、毎日切磋琢磨している。

 

必ず修行の成果は出るし、これからは天然水を携帯して、休憩も取り入れて、エネルギー補充を心がける。

学んだことは活かす!これが鉄則だ。

極力、人混みにいかない、危害を加える負のエネルギー体と関わらない、エネルギーが低下しているときにはなにもしないなどの防衛は基本。

 

私が嫌いなのは、見た目じゃなくて、見た目から放たれる気がイヤ。

いくら造りは美しくても、気配が誤魔化しきれない。

どれだけポーカーフェイスを決めたって、背後から立ち上る負の気配は決して消えない。

 

>レイプ野郎どもの記憶で気づいたことは、私のジャッジメント意識が強くて、こいつらは存在価値なし!!って私が独断で決めていた。

 

これも独断で決めていい。

自分にとって存在価値ないって思うんならそれでいい。

自分がそう思うことをジャッジしないことがノンジャッジメント

言わなきゃいいし、関わらなきゃいい。

ただ、存在価値がない存在と関わって、内心では罵ったり批判するなら、自分のこともそういうふうに扱うしか価値がないって思っているよね、ということになる。

内心だろうと罵倒するくせに、なんでいつまでもその人間と関わりつづけるのか?

一度でもなぜそういう人間と関わったのか?

自分に原因があるよね、ということ。

 

>キモイ男とやったてめえが悪いんじゃ!!ってすっごい自分を憎んでいた。

自分虐待、自責、自己嫌悪と、自分を大事にできない、愛せないときの状態まで落ちると、自分をあとから憎み、自分に復讐したくなることをしでかす。

もしくは他人から恨まれて憎まれて復讐されるか。

レイプの記憶はまさに究極の自己虐待まで落ちた状態を表していて、どれだけ自分が自分を憎み、愛せていないかを訴えていた。

自分への復讐がレイプの記憶で、自分がその記憶で苦しんで、いかに自分を痛めつけていたかを何度も何度も味わった。

自分に復讐されるようなことを、私はたしかにしたのだ。

 

私の言うイケメンっていうのは、気配が美しい、軽やかな人。

顔の造りではなく、表情、目、声、使う言葉、ひとつひとつから細やかに気配が出ている。

ブサイクっていうのは、顔の造りじゃなくて、負の気配のこと。

地獄に近い、もしくは地獄に陥っている精神(霊体)状態を指している。

 

私はpyoさんの『縁』に出てきた娘のように、自分を大事にしていなかったときがある。

そのときに関わった男性たちから「レイプされた」といくつも記事を書いている。

『縁』の娘は自ら堕落していったことに気づかずに一度死んだ。

 

私は堕落して、レイプというトラウマの記憶から、自分をまったく大事にせず、目的のために手段を選ばず、自分と他人を含む人間を物のように扱っていたことを自覚した。

 

だから、記憶のなかの私は私を憎み恨んでいた。

私が私を傷つけたんだ!とひどく糾弾していた。

私はそれほどまでに自分に怒り、憤り、悔しさ、悲しさ、傷や痛みを与えるようなことを平気でしでかしたのだと自覚した。

 

記憶は、自分が自分になにをしたかを十分にわからせるために、何度も何度もつらい映像として蘇ってきていた。

いまはやっと薄れてきているけれど、まだ自分のことを責めたり、虐めたり、赦せなかったりする部分があったりして、体重も急増した。

 

『ライフ・ヒーリング』という本によると、身の危険を感じたり恐怖を感じると体重が急激に増える、とのこと。

 

ちょうど月経の周期と前後して、私は怒りで自分の不満を散らしていたり、怒れば黙らせられるみたいな、おかしなことを自分にしていた。

 

そんな辺りから月経に入り、体重が急増して、戻らない。

私は相当な恐怖を自分に与えていたと気づいた。

 

レイプの記憶をさかのぼったり、許せないをどう許すかと考えたり、自分が感じたこと、感じていること、思ったこと、したことやったこと、それをありのまま 認めることができないでいた。

 

どうにかして許せるようにならないか?

どうにかして記憶を緩和できないか?

どうにかして早く楽になれないか?

どうにかならないのか?

 

解決策ばかりを模索して、自分の声をありのまま認める、許す、全面的に自分の味方になって批判しない、責めない、虐めないということが疎かになっていた。

 

内観ってそうじゃなくて。『ライフ・ヒーリング』にもあるように、全面的に自分を許して、そのうえで「こうしたらいいんじゃない?」「こういうこともできると思うな」とアドバイスや改善点、より自分らしく楽になる方法として提案する、相手になにをされようと言われようと、そのときの自分をまったく余すところなくすべて許してから、相手を許す方法を健全に模索するって感じで。

 

自分いじめが内観じゃない。

 

嫌い→だから悪い、だから存在すんじゃねえ、死ね!!

ジャッジメントかなあ、これ。

死ねって思ったんなら死ねじゃん。

実際に相手に死ねって思ったのなら、それでいいじゃん。

それくらい嫌だっただから。

でもそれくらい嫌だった相手と関わったってことは…自分を大事にしていないからこそできたことだよね、ということになる。

死ねって思う相手とセックスするって、自分への殺人行為だよね、と。

相手に死ねって思うのはいいけれど、ついでに自分も死んでも構わないって自分のことを思っていたんだ。

上記の記事を書いてから、これに気づいて、あーそうよね、と思った。

 

いんだよ。マジで。死ね!!って思うのも、嫌い!!って思うのも、生理的に無理!!って思うのも、そうなんだから。それが自分の気持ちなんだからそれでいい。

それがノンジャッジメント。