高次本能研究日記@こころ科学

姓名数数秘7の内観と心理分析、人が自分らしく生きるための本能開花について考える記録日記

過去のことは相手のことまで乗り越える必要はない

相手の気持ちをわかろうとしたり、理解しようとしたり、解釈を変えることで「自分のせいではない」と思うこともできる

 

そういうリフレーミングという手法もある

 

でも、私はそこまでして相手のことを理解して乗り越えなくてはいいのではないかと思えてきた

 

相手の気持ちとか立場とか

そういうのも解釈で変えられるっちゃ変えられるんだけど

それで相手のやったことが消えるわけじゃないし、過去も変わらない

「だからなに?」と思える

 

私は自分のしたことは自分で許す必要があると思っている

だったら相手もまた、相手が私にしたことは自分で気づいて許すなりなんなり好きにしたらいい

 

私自身、子猫の件しかり、自分で自分の”罪”を許すのは相当な心の力を使うことも知っている

こうやって相手のことは相手のことだと、相手に責任をきちんと返すほうが私はまだいいと感じる

 

相手の立場がいかようであれ、いままでの生き方の過程がどうであれ

自分のしたことはすべて自分の責任なんだ

自覚があっても、なくても、自分の責任は自分のもの、相手の責任は相手のもの

 

乗り越える必要がないものも内観にあるというのが私の持論

pyoさんはリフレーミングの思考法を推奨しているけれど、私は相手の気持ちをわかりたくないときがある

 

そういうときは、リフレーミングなんてせずに、相手のしたことに思い悩むのではなく、自分の受けた傷と痛みを自分が受け止めて、それ以外は私にはどうしようもないこと、相手の問題だと手放すようにしている

 

相手がどういった気持ちでそうしたかなんて知る由もない

レイプにしてもそう、モラハラとかセクハラにしてもそう

意識を変えられるのは自分の方だけ

 

フレーミングも自分の解釈を変える手法のひとつで、身近な人に使うのは私にも向いているんだけれど、どうでもいいただムカツクだけの人間の気持ちも立場もどうだっていいのよね

 

そこまで相手の受け止めて考える必要ないんじゃないかと

そのぶん自分を受け止める方に回せと

 

だって傷付いたのも怒っているのも悲しんでいるのも自分であって他人じゃないからねえ

他人なんてどうだっていいからまず自分を受け止める方がちゃんとやれないとねえ