@自分こころ科学

内観、自己分析、セルフワーク、スピリチュアル

若さ、年齢への観念

年齢や若さを気にしている自分がいる
見た目は若くても、やっぱり20代と30代とは違う
 
私が年齢で自分や相手をジャッジメントしているから
自分も年齢でジャッジメントされると思っているんだろう
あと、老化への恐れがあるから私は20代並に若いと思い込みながら
恐れを抱いているのかもしれない
 
若いほうが可能性があって、年齢を重ねるごとに可能性が狭まるとか
 
若い時に成功することを悪いこと、よくないことのようにしようとしていたり
 
若いほうが自由で、選択の幅も広くて
失敗しても挫折してもやり直しが効く
若くてモテるし、女性としてのリミットを気にする必要も焦る必要もないし
男性からちやほやしてもらえるし、おしゃれもかわいい服を着られるし(男性にモテたい、注目されたい)
若さだけでモテる女が許せない、私もモテてちやほやされたい
年齢年代で差別されたくない、そんな屈辱は許せない!!
 
10代=恋愛できる
20代=モテる
若さ=モテる、恋愛できる、チャンスが多い、ちやほやされる→可能性が多い
という観念があるんじゃないか?
あと、結婚への焦りも含まれている
若いほうが失敗も効くし・・・みたいな
 
私も10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代に色付けしてジャッジメント解釈している
色眼鏡で見ている
 
★若いとなんでいいの?
恋愛のチャンスがあるから
→恋愛+ヤリチンのチャンス。底の浅い恋愛経験だけ積めそう
すてきな人に見初められそうだから
→素敵な人じゃなくて、若さが好きな人だろ。
イケメン♡と恋愛するっていう思い出が作れそうだから
→思い出だけ、ね。若いことはイケメンと恋ができたのに今は…という観念になるのだな。そんで過去を振り返っては過去にとらわれていまの自分を否定する
ミニスカ履いたり、メイドカフェでアルバイトしたり、可愛い格好してかわいいって言われたかったから。注目されたかった、かわいいってちやほやされたかったから、優しくされたかったから。
→最悪、天狗になってストーカーが出没したり、可愛いだけが自信の在り処になって不安定になったりな。
マッチングアプリでもすてきな人から声をかけてもらえそう
→見た目だけでな。なんでも初めては盛り上げるけれど、その後は年齢関係ないだろ。
若いってだけで甘く見てもらえるから
→若さ美しさで選ばれたら老後は捨てられるかもな。化粧しろとか痩せろとか鍛えろ引き締めろとか言われる恐れもある。
 
良い面には悪い面もセットでくっついてくる
若さの悪い面は・・・下に見られやすい、甘く見られやすい、バカにされやすい、幼いと思われる、信頼性に欠けると思われる、行動がゆるい思考が甘いと感じる、経験が少ないのがバレバレ、大人ぶっているのが見抜かれて子供扱いされる、若いってことで真剣にならずに遊び捨てる人もいる、調子に乗って相手をバカにしたり貶したりする、痛い思いをするほうが多い、他人の気持ちや立場に立つという配慮ができない、依存症や共依存になりやすい
 
若さに執着すると、若さがなくなったらどうしようと恐れの観念になり、自分より若さのある人間に嫉妬し、攻撃的になり、老いる自分を受け入れられなくなっていくのだ
私も若さに嫉妬して、若さが失われていくことを恐れて、自分よりも若い人間に劣等感や怒りを抱いていた。そしていつか若くなくなる自分を受け入れられないと思っていたので、若い人間に威圧的になっていたのだろう。
自分はまだ若い、負けていない、負けることはない、と。
 
★では、年齢は?
20代と30代なら、自分だったら20代のほうがいいなあと感じる。
でも、相手が年下だと思うと、信用性が置けないなあと感じる。
まだ20代でしょ?たかがしれているよね?と。
でも、30代過ぎてもダメンズダメンズだし、40代になっても頭の中は幼稚な人もいるしで、年代、年齢は関係ないはずなんだけど、つい年代というグループで判断しがちだ。
 
年齢が低いほど、妊娠のリスクも下がるし、お産も軽いし、男性たちも結婚して子供産むことをかんがえて、生物的に健康の年齢のほうがいいのかと思っていた
でも、20代が30代より健康的で肉体が若いとは、じつは限らないんだよな
むしろ生理痛がひどかったり、お産が難産だったり、20代だから大丈夫、ではないんだよな
それに、20代で結婚して子供を産むともっと遊びたかったーと思う人も出てくるし
 
20代は責任感なさそう、遊ばれそう、軽そう
30代は手堅いけれど・・・
40代はなんでその年で独身で恋人もいないわけ?
 
年齢、年代で態度や言葉遣い、対応を変えないといけないと思っていた。
年齢、上下関係、性別で「対応を変えなければいけない」という観念があったのだ。
変えなくてよかったのだ。
 
目上の人間が年下同い年と同じ態度をとって「失礼だ」「無礼だ」『礼儀がなっていない」などといったり、嫌味や皮肉を言ってくることがあったのだと思う。
そして卑屈になって、自分の態度がいけなかったと思った私は、年上には年上をことさら敬い、年下には年下に対応した親しみやすさアピールをしたり、自分の態度を年代別、年齢別、性別で変えなければいけないと思っていたのだ。
 
でも、目上の人間が失礼だなんだと言うとき、態度が悪いとか、こちらにしたいする敬意がないときって、自分が気持ちよくないからなんだよね。
目上ってことで気持ちよくおだててくれたり、目下らしい態度をとってくれたほうが気持ちのいい人間もいる。
年下と同じ態度じゃ気に食わないっていうのは、それが自分にとって気持ちが良くないから。
なんでおまえらのご機嫌とらなきゃいけないんだよ、って話だったのよな。
年下にたいしても年上にたいしても同い年であっても、態度を変えなきゃ良かっただけなんだ。
自分より年下だから、自分より年上だから、女性だから男性だから、子供だから大人だから自分の振る舞いを変えるっていうのは、一種のジャッジメントであり、自分を相手に合わせてあげているってことだ。
そうすると、自分にたいしても年上年下、女性男性らしいそれぞれの対応を自分にしてくれと求めて、失礼だとか軽いとか無礼だとか、色々と評価するのだ。
他人を評価するから、自分もジャッジメントされないように態度をころころを変えていたのだ。
 
年齢、性別、年代、態度、振る舞い、言葉遣いに意味があると思っているから意味があるだけで、本来は意味なんてないのだ。
 
モテたいのも、注目されたいのも、私が影響を与えたかったからだ。
私がだれかに影響を与えるから、モテる。注目される。
なにも影響がなかったら、振り向きもされないだろう。
だから影響力のある自分になりたかったのだ。
影響を与えるからモテる。影響を与えたから注目される。
モテるから、注目されるから、人々に影響を与えるんじゃなかったんだ。